以前、バブル期の貯金金利や金融商品の記事を書きましたが、異次元的な高金利でびっくりものですよね!?ということで今回もバブル期の金融商品を取り上げてみたいと思います。今回は生命保険です。

 

 

今の時代は保障を重点に置いて、毎月の支払保険料総額に対して受取る戻り金が少なくなる掛け捨て型商品が主流ですが、昔はその逆で戻りが多くなるので貯金代わりに運用する人も多く、実際の運用利回りも高かったのです。

 

 

ということでバブル期の生命保険について解説していきます。また当時外交員をされていた職員さんから伺ったここだけの話も紹介しますのでお楽しみに。

 

 

 

生命保険の予定利率の推移

 

まずは生命保険の過去50年の予定利率の推移をご覧ください。

 

 

 

予定利率とは簡単に言うと、保険会社が契約者に約束する運用利回りのことです。保険会社が契約者から預かった保険料をどれくらいの利回りで運用できるかを予測して決めているのが予定利率です。ご覧のようにバブル期は運用利回りが5%以上ですが、それ以前も同様の利回りでした。それがバブル崩壊で年々下がっていき、今では1%です。

 

 

5.5%の予定利率は保険料を納めた金額に対して、満期時に5.5%分を上乗せされて契約者に返却されたということになります。ところがすべての保険が予定利率通りになるとは限りません。ここでとある保険契約をご覧ください。

 

Aさん(女性) 27才時に加入  30年満期型養老保険

月払保険料4,125円  満期保険金額150万円
死亡・重度障害保障保険金150万円 災害死亡保険金300万円
病気・ケガ入院(日額)3,000円 手術給付金3万円、6万円、12万円

払込保険料総額=月払保険料×12ヵ月×払込期間(年)
=月4,125円×12ヵ月×30年
=148万5,000円

30年後にもらえるお金(満期保険金額)=150万円

 

 

予定利率5%を超えていた時代に30年満期養老保険に加入された女性の例を挙げていますが、掛けた金額が148万円に対して満期保険金は150万円で大して戻りはよくなかったようです。予定利率が5%の時代の商品にもかかわらず以外と少なくなります。

 

 

実は予定利率とは、入院特約などを除いた基本保障部分での運用割合のことを言います。つまり特約をたくさん付加すればするほど実質的な予定利率は下がることになるのです。貯金と比較するのであれば返戻率で算出しておくと良いでしょう。返戻率は「受取総額÷払込保険料総額×100」で算出します。この数値が100%未満の場合は元本割れをしている状態です。それでは上記の例をもとに受取総額から払込保険料総額を割った返戻率を見てみましょう。

 

返戻率(%)=受取総額÷払込保険料総額×100
=150万円÷148万5,000円×100
=101.01%

 

 

ということで、生命保険はバブル期であろうと貯蓄性としては微妙であることがお分かりいただけたかと思います。しかしそれではタイトル矛盾してないか?と突っ込みが入りそうですが、ご安心ください。バブル期の生命保険はやっぱり魅力だったのです。

 

 

配当金で返戻率が倍以上になるからくり

生命保険の保険料は、その運営に必要な費用を「予定率」によってあらかじめ設定したうえで計算されています。予定率によって契約者から集めた保険料よりも、保険の運営にかかった費用が少なかったときには余りが残ります。これを「剰余金」といいます。

 

 

剰余金を、保険の契約者に還元するお金のことを「配当金」といいます。生命保険の配当金の大部分は、契約者から受取った保険料の清算や割戻しにあたります。

 

 

バブル期はどこの保険会社も業績は良かったので、剰余金≒配当金は契約者へたくさん還元されていました。したがって、満期返戻金150万円に配当金をプラスした金額が返還されるのです。上記の例で1980年後半~1990年前半で満期保険金を受け取った場合には、保険金の2.5倍くらいにはなります。つまり満期保険金150万円に対し、配当金が220万から230万円、計370から380万円となるのです。保険期間が30年と長い商品ですからこれだけ金額が膨らむのですが、保障期間の更に長い終身保険では保険金の3倍以上になったそうです。実に運用利回り年8%を超えるお宝保険なのです。

 

 

 

配当金は契約時に約束されるものではなく、支払時の配当利回りを元に計算されるので、保険契約時に配当金がいくら貰えるという見通しは立ちませんが、景気の良かった当時は、生命保険会社はその高率利回りを全面的に強調したパンフレットを作成し、そこに満期保険金に加え、高配当を大きな活字で書いた受取り予想額まで印刷して勧誘していたようです。

 

 

 

貯蓄よりも魅力的な高利回りが好評で強気の保険会社は貯蓄話法で保険加入を増やしていきました。個人だけではなく企業の法人契約で退職金代わりに等、経営者を引き付ける魅力は十分でした。高配当利回りを武器に保険販売件数は右肩上がりで、当時の保険セールスマンは勧誘の切り口も多様に使えて契約数も凄かったと思われます。

 

 

公務員とは思えない簡易保険外務員の給料

保険セールスマンが保険契約で手にする募集手当は契約者が毎月支払う保険料額とほぼ同額か一割掛け位と言われています。保険の種類によっては、もっと高い手当になるものもあります。実は私もかつて保険セールス業務に携わっていたことがあるので、実際受け取る募集手当もそのくらいの金額でした。当時は国営で現在はかんぽ生命という会社です。もっとも私が携わっていたのはバブル期ではなく、保険が右肩下がりになった1999年頃からですが。

 

 

バブル期を経験した先輩から話を聞くと、毎月の募集手当が7桁の人ばかりだったそうです。法人契約をメインにしている先輩の話によると年収は3000万円超だったそうです。保険営業になってすぐに大きな一軒家を購入して、車も年ごとに買い替えて、それも高級車ばかりだったそうです。お昼は局舎にある食堂は一切使わず、うな重や焼肉、フグ料理、寿司ばっかり食べていたそうです。

 

 

ある人は募集手当を元手に株式や不動産を買って資産運用したりで、そっちの方が見入りが良くなり結局仕事を辞めたそうです。郵便局員という公務員でありながら、保険外務員に関しては別次元の世界で我が世の春を謳歌していたのです。

 

 

そのため他部署(郵便・貯金)から保険外務員への異動希望が絶えなかったそうです。何人かの先輩もそうした異動希望が叶い、念願の保険外務員になりました。ところがバブル崩壊で予定利率も下がり貯蓄話法が使えなくなると、契約件数も減り、募集手当も減っていくのでした。おまけにそれまで悩むことのなかったノルマ(一人当たりの保険獲得実績)をクリアできなくなります。

 

 

私は1999年に保険外務員に転属になりましたが、別に高給取りになりたいとかではなく、たまたま異動希望だしたら、それまで内勤なのになぜか外務員として異動が決定したのです。てっきり内勤で異動できると思ったので、あの時はすごく落胆したものです。決まった以上、断ることもできず保険外務員となりましたが、実はこの1999年頃、新規採用された郵便局外務職員はほぼ100%、保険外務員として採用されたのです。

 

 

つまりなり手がいないから、新人を回しとけ!という方針だったのでしょう。保険セールスや営業が苦手でも有無を言わさず、保険を募集しなければならない。そして同期や先輩との過酷な競争にもさらされる。私はそれほど実績が良くなかったので厳しい指導も受けて大変でした。

 

 

ということで、バブル期の生命保険とそこで働くセールスマン事情を書いていきました。今の生命保険は保障を見据えた金融商品なので見返りは期待できません。貯金金利が雀の涙の時代ですから当然ですが、あらためて振り返るとバブルって凄い時代だったのだなと感慨深い思いです。

投稿者

yuuponshow

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