今年のジャパンカップは三冠馬が三頭も出場するという近代まれにみる豪華なメンバーが揃い、結果はG18勝の牝馬アーモンドアイが、今年の牡馬三冠馬のコントレイルを抑えて優勝しました。私、最近競馬は殆ど見なくなり馬券も買ってませんが、さすがにこのレースだけは見届けようと外出先でワンセグ携帯片手に視聴しました。終わってから本命馬のワンツーフィニッシュに満足し、やっぱ競馬って良いなーと感じつつ、また馬券買ってみようかなと食指が動く思いでした。

 

 

私はオグリキャップが活躍し出した80年代後半から2000年代中くらいまでは友人と連れ立って競馬場や場外馬券場に入り浸るほど夢中でした。競馬を好きな人は大抵当てはまると思いますが、馬券が勝った負けたよりもその競走馬に対して思い入れが強くなるのですよね。好きな馬は先述したオグリを始め、トウカイテイオー、メジロブライト、ナリタトップロードといった感じです。血統に恵まれなくても勝ちまくって、のし上がってきた馬であったり、日本で活躍した内国産馬であったりと、そのルーツがポイントになります。

 

 

そんな一頭に該当する昔の名馬ヒカルイマイについて紹介していきたいと思います。ヒカルイマイは1971(昭和46)年の皐月賞、日本ダービーを制覇したクラシック二冠馬です。時代が古いので当然リアルでは知りませんでしたが、この馬の存在を知ったのは日本ダービーの名勝負集というビデオで、その勝ちっぷりもさることながらこの馬の数奇な運命を知り興味を抱いたのです。輝かしい実績を上げながらその生い立ちから不遇の運命を背負うことになるのですが、そのストーリーを辿っていきます。

 

 

廃馬寸前から75万円で競走馬の道へ

 

 

ヒカルイマイは1968(昭和43)年、小さな家庭経営の農家で生まれました。競走馬と言えば普通は競走馬を育成する牧場で生産されるのですが、ここには放牧地もなく、家の裏にある沢に放たれていたそうです。こんな状況ですから生産者も将来競走馬に育つなど微塵も感じていなかったのでしょう。むしろ食用とされてしまうのでは・・この時点で奇特な運命を感じずにはいられません。

 

 

2歳になりセリに出されましたが買手が付かず売れ残り、いよいよ廃馬しかないと思われた時に馬主となる鞆岡達雄が現れ購買されることになりました。

 

 

ヒカルイマイの評価額は200万円でしたが、肋骨が1本陥没していることを指摘し、50万円減額の150万円、さらに「半分は競走馬になったら改めて支払う」として、半額の75万円で買い取られました。評価額200万円とは超良血馬であれば億単位が相場です。ヒカルイマイの時代でも良血場は何千万円単位が相場でしたから200万円は大格安、そこから更に値引きされて75万円はいかに競走馬として微塵も期待されていなかったかが分かります。

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評価が低くこれだけ嫌われた理由はヒカルイマイがサラ系であることが挙げられます。競走馬の殆どはサラブレッド系なのですが、サラブレッドは人間の手により配合を繰り返し作り上げた競走馬のことを言うのですが、この定義を更に掘り下げるとその競走馬の8代前の祖先を遡り、すべての馬にサラブレッドとしての血統書が残っていなければなりません。

 

 

ヒカルイマイの母系の5代前はミラという牝馬に辿り着きます。ミラは明治期にオーストラリアから日本に輸入された馬で、競走馬として優秀な成績を残しましたが、父母不明の血統書の無い競走馬でした。競馬の創成期である明治期は血統書の無い馬が多数見受けられましたが、その後種馬や繁殖牝馬となった血統書の無い馬の子孫は、その血統で大きく苦しめられてしまうことになります。

 

 

いくら優秀な競争成績を収めても血統が重視される競馬界で血統書がなければ、純粋なサラブレッドではないのです。そのためミラを先祖にもつヒカルイマイはサラブレッド系ではないサラブレッド系種(サラ系)とされたのです。

 

 

栄光の競走馬から不遇の種牡馬に

 

ここでヒカルイマイの競争成績をご覧ください。

 

                          (wikipediaより引用)

 

 

デビュー戦から3連勝して、そこから勝ちきれない時期もありましたが、4歳になりクラシックレースの皐月賞、日本ダービー制覇という輝かしい戦績をあげています。僅か75万円で買い叩かれた安馬が獲得総賞金9076万円の超優秀ホースになったのですから分からないものですね。そして特筆すべき日本ダービーでの後方からの二十頭ゴボウ抜き差し切りという離れ業は今や伝説として語り継がれています。

 

 

主戦騎手の田島良保氏はこの時若干23歳で史上最年少ダービージョッキ―となりました。平成元年のオークスでライトカラーで優勝した時にテレビで見ていたのですが、落ち着いたベテラン騎手という印象でした。まだ競馬を見始めた頃で騎手の名前も知らなかった頃で、ゴールを競った相手が若手大売出し中の武豊だっただけに、それに比べたら寡黙そうなおじさんであまり印象には残らなかったのです。(失礼ながら)それから若武者の頃の田島騎手とヒカルイマイのコンビのレースを映像で見て、凄いことやった人なんだなと改めて知ることになったのです。

 

 

 

こうしてクラシック二冠ホースとして華々しい実績を残し、引退したヒカルイマイですが、サラ系であるという運命に再び悩まされることになります。希代の名ホースでありながら種牡馬となってから種付料はクラシック二冠馬の割には低いものでした。にもかかわらず種付け希望は極端に少かったのです。あっても能力の低い繁殖牝馬だけで、これという活躍馬のないまま1978年には種付けがゼロとなりました。たかが血統、されど血統、血統がものをいう競走馬ですが、その境遇はあまりに不憫なものでした。

 

 

 

屠殺を救ったヒカルイマイの会

 

 

優秀な子孫が残せない馬は管理者の判断で殺処分をされることもあるそうで、例え競走馬として実績があっても同じこと。現実問題として馬の管理には莫大な費用が掛かるからなのですが、人間界の身勝手な都合で優秀なホースが生命を絶たれてしまうというのは不条理に思えます。ヒカルイマイも一時屠殺(とさつ)の噂があり余生が危ぶまれた時期もありました。

 

 

が、そのことを聞きつけたヒカルイマイの激走に感動し心打たれた競馬ファンの有志が、「ヒカルイマイの会」を結成し、馬の管理にかかる費用を募金等で集め、年に数回、飼料代として牧場に寄付するようになったのです。それだけではなく種付け相手」の購入資金が送られたこともあり、これを元手にハシアサギリという牝馬が買われ、ヒカルイマイとの間に2頭の牝駒を残しました。

 

 

そして1992年25歳で老衰により死亡、馬の平均寿命も同じくらいですから天寿を全うした方ではないかと思います。お墓は鹿児島県大崎町のニルキング牧場内にお墓がありますが、このお墓代もヒカルイマイの会から560万円拠出されて建てられたものだそうです。競走馬として引退してからはファンのバックアップによりのんびりと幸せな余生を送れた訳ですが、これだけファンに愛される馬というのも競走馬冥利に尽きると思います。

 

 

 

サラ系という逃れられない生い立ちにより、不憫な運命を余儀なくされたものの、逆にそれが競馬ファンの共感を呼び愛されたヒカルイマイ。超良血馬よりも不遇な生い立ちの馬を応援したくなるのもこうしたサクセスストーリーが自分に置き換えることで勇気を貰えるからなのです。

 

 

最後に余談ですが、ヒカルイマイのお墓は私の住んでる鹿児島にあります。映像でしか知らないのにその走りに感動し、すっかりこの馬に興味を抱いたこともあり、ちょっと離れてますが機会があればお墓参りしてみたいと思います。また主戦騎手の田島吉秋氏は鹿児島出身と鹿児島に所以のあるヒカルイマイ。そんなところにも惹かれたのかも知れませんね。

 

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投稿者

yuuponshow

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