以前、45年前となぜこんなに違う!?国公立大学の授業料という記事を書きましたが、昭和50年で年学費は36,000円。当時と現在との物価の違いを考慮しても、昭和時代の大学学費が大変安かったのです。
時代が違えばお金に苦労せずに大学に通えていたのですから、当時の学生は恵まれていたと言えるでしょうね。ではそれ以前の大学学費はどうだったのでしょうか?時代を更に遡って戦前の学費は安かったのか?高かったのか?また今の教育制度との違いについて検証していきたいと思います。
戦前の学校系統
戦前の学校系統は下の図のようになっています。
戦前の義務教育は尋常小学校のみです。現在の小学校と同じなので、だいたいイメージが付くと思います。それから進学する場合には多岐に分かれることになるのですが、クラスで頭の良い子は中等学校へ進学することになります。(女子は高等女学校)
尋常小学校から旧制中学校への進学は全体の7%でした。現在の中学校、高等学校にあたるのですが、当時は経済的に貧しい家庭が多かった事情もあり、このような低い進学率でしかなかったのです。
そこから旧制の高等学校へ進学するのは超エリートです。旧制の高等学校は帝国大学進学のための予備教育を施す大学予科として位置づけられた男子のみ3年制の教育機関となります。1886年(明治19年)に、旧制一高(現在の東大)が創設されましたが、日本の近代国家建設のため必要な人材の育成を目的としていました。
旧制高等学校は全国で39しかありませんでした。その中で明治期に創設された旧制一高から旧制八高までは、政官界に卒業生を早く送り込んで後発の学校よりも優位に立ったため、他と区別するため、特別に「ナンバースクール」と呼ばれていました。
旧制高校一覧
● 一高(東京) 現在の東京大学
● 二高(宮城) 現在の東北大学
● 三高(京都) 現在の京都大学
● 四高(石川) 現在の金沢大学
● 五校(熊本) 現在の熊本大学
● 六高(岡山) 現在の岡山大学
● 七高(鹿児島)現在の鹿児島大学
● 八高(愛知) 現在の名古屋大学
旧制高校の学生は無試験で帝国大学に進学できました。高倍率の旧制高校試験をクリアした生徒は最高学府である旧帝国大学への進路の切符までも手に入れることができたのです。しかしすべての旧制高校生が希望する帝大に入れる訳ではなく、高等学校の成績で各大学の各学部に振り分けられていました。 これを進学振り分け(進振り)と言っていました。
旧制高等学校は現在の大学前半の教養課程、帝国大学が現在の大学後半の専門課程と大学院修士課程でした。 高等学校の定員と帝国大学の定員は同じでしたので、全員がどこかの帝国大学に振り分けられていました。 従って当時は高等学校受験に合格すれば帝国大学進学が約束された国家エリートの最高峰でした。
旧帝国大学一覧
● 東京帝国大学(東京) 現在の東京大学
● 京都帝国大学(京都) 現在の京都大学
● 東北帝国大学(宮城) 現在の東北大学
● 九州帝国大学(福岡) 現在の九州大学
● 北海道帝国大学(北海道) 現在の北海道大学
● 大阪帝国大学(大阪) 現在の大阪大学
● 名古屋帝国大学(愛知) 現在の名古屋大学
旧帝大は内地で7校あったので一括りで旧七帝大と呼称されていました。また、外地にも旧帝大が設置され、それぞれ現在の韓国・台湾に引き継がれています。
● 京城帝国大学(韓国・ソウル) 現在のソウル大学校
● 台湾帝国大学(台湾・台北) 現在の国立台湾大学
戦後、新制大学に移行した現在においても上記の大学は旧帝大と呼称されており、他国立大学と比較しても格式の高い最難関大学として位置づけられています。
旧制高校・帝国大学の学費
戦前唯一の義務教育である尋常小学校のクラス(40人)から中学校に進学できたのは平均で4人。 中学校のクラスから高等学校に進学できたのは平均で2人くらいです。 いかに最高学府である旧制高校・帝大への進学が狭き門であったかがお分かりいただけるかと思います。
twitterアカウントの戦前~戦後のレトロ写真さん(現在アカウントは削除されています)が当時の旧制高校生の様子をいくつか掲載されているのでご覧ください。
旧制高校生は金ボタンの詰襟制服着用が義務でしたが、何分優秀な頭脳の持ち主故、独自の特徴を出そうと長髪やバンカラ風の出で立ちの生徒が多かったのでやや近寄りがたい印象ですが、これが当時のエリートのトレンドだったのでしょうね。
学内で飛び抜けた学力が伴っており、且つ男子であることが旧制高校進学の必須条件ですが、気になるのは進学のための学費です。戦前のエリート育成機関はどのくらいのお金がかかっていたのでしょうか?
国立大学の学費(年額)は
1930年代120円 現在価値で20万円
1920年代89円 現在価値で11万円
1910年代50円 現在価値で15万円
1900年代31円 現在価値で11万円
現在の価値に直すと10万から20万円の間くらいになります。そう見ると授業料は結構安いかなと思われますが、物価比較からして、物凄い高い金額になります。下の表から消費支出とGDPとを比較すると一目瞭然です。
大学機関が創設された当時の学費は年間一人当たりの消費支出とGDPをかなり上回っています。体感的には今の私大医学部レベルの学費に匹敵するかも知れません。
戦後の学校制度改正後と比較するとエリート養成機関である旧制高校、旧帝大へ進学するためには学力もさることながら家庭の経済力も不可欠になるのです。
国立よりも安い私大、学費免除の師範学校
旧制高校、旧帝大のエリートコース以外の選択肢としては私立大学か師範学校というルートがあります。いずれも旧制高校→帝大という黄金ルートに比べると見劣りされ、就職先でも帝大卒と私大や師範学校卒とでは賃金に差を付けられるなど露骨な差別行為がまかり通っていたのです。それだけ帝大卒は飛び抜けた存在だったのです。対する私学は学費が安い割に人気がなく、私学の雄と言われる早稲田、慶應義塾卒でも年度によっては定員割れをしたこともあるのです。今では信じられませんよね。
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現在の学費は国公立 < 私大 となっています。国から補助金を受けていて、そのお金を毎年学校の運営に充てて今の国公立大学が成り立っています。学生が支払う授業料が私大に比べて大幅に少ないのもそうした理由なのです。
ところが戦前は国家という存在は絶大でしたから、授業料はどうしても官立が高く、私立は対抗上安くしないと学生が集まらなかったのです。早稲田大学が東京専門学校として開校した当時、授業料は月1円ということで、修業年限・授業料とも東京帝国大学よりも短く・低く設定されていました。
師範学校は卒業後教職に就くことを前提に授業料がかからないのみならず生活も保障されたので、優秀でも貧しい家の子弟への救済策の役割も果たしていました。授業料無料と言えば今の防衛大学校がありますが、当時は一般過程の学校でもこうした制度が設けられていたのです。そのため受験倍率も相当高かったそうです。
師範学校の最高学府とされる東京高等師範学校は現在の筑波大学であり、他の師範学校も国立大学に包括され現在に至っています。
ということで戦前の教育制度、主にエリート街道である旧制高校と旧帝国大学について解説しました。戦前と現在とではまったく異なる教育制度ですが、戦前の教育機関は棲み分けができていたこともあり、生徒も選択しやすかったでしょうし、よくできた制度であったと思います。
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