自宅にいてくつろいでいるときは何気にテレビの電源を付けますが、最近のテレビ番組って見たい番組がないんですよね。私が子供の頃ってテレビ番組のラインナップが充実していて、学校から家に帰ったら速攻でテレビをつけてアニメや特撮の再放送をワクワクしながら見て、ゴールデンタイムのバラエティーやドラマ番組を楽しんだものです。
ところが今じゃ子ども向け番組もそうですが、ドラマやバラエティーなど手の込んだ作品はかなり少なくなっています。代わりに特番レベルの3時間、4時間ものの番組が目白押しとなりました。しかも内容が薄いものばかりでずっと見続けるのは大変キツイです。かつて娯楽として栄えたテレビですか、番組内容が薄い内容になってしまったのはテレビ制作にかかる製作費が削減されているこが原因と言われています。昔のテレビの良かった頃を知っているものからすれば非常に物足りません。
ところで、ご存じのように民放テレビ局は県域単位で存在します。公共放送のNHKは日本中で視聴できますが、民放は地域によっては5局やそれ以上視ることができるところがあれば2局しか視ることのできない地域もあります。これは日本特有の事情からこうなってしまったのですが、電波格差が激しい日本の民放テレビ局の歴史について
日本の民放テレビ局が県域制になった理由
先述したように、日本各地域別で視聴できるテレビ局に差があります。こうなった原因は太平洋戦争の日本の敗戦によるものでした。日本の放送局のNHK・民放の二元体制ができたのは、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の1947年の指令によるものからです。戦前の日本の放送は国営の日本放送協会しかなかったため、戦時中は大本営発表をそのまま放送し、戦意昂揚に利用されることになりました。
そのためGHQは、NHKを政府とは独立の特殊法人とし、言論の多様性を保障するため民放は県域ごとに独立の県域免許としたのです。そして1953年に日本初の民放テレビ局の日本テレビが開局しましたが、視聴できるのは関東近郊だけで、他の地域は視ることはできませんでした。
次第に日本全国にテレビ局が開局しますが、大都市圏と地方とでは、テレビ局の数に差が生じることになります。都会のテレビ局は資金が豊富でテレビ番組制作費にも費用をかけることができるので、番組ラインナップは充実するのですが、地方のテレビ局は資金が乏しいので都会のテレビ局の番組を供給に頼らざるを得なくなります。結果、東京のテレビ局が地方局を取り込む形でネットワーク化を形成されていくことになります。
地方局も最初は独立した番組制作を目指していたのですが、何せ東京や大阪と比べて資本力が足りないので番組コンテンツも乏しくなります。それにテレビ局の収入源であるCMも地方ものだけだと採算が取れません。県域制の問題点は都会と地方で差が生じてしまうこと、そのため地方を取り込んだネットワーク化は自然の流れだと言えます。
地方4局化方針が決定し、格差解消へ!
私の住んでいる鹿児島も1980年頃までは民放2局しかありませんでした。鹿児島に限らず民放2局地域は珍しくなく、4局ある地域は人口の多い都市部くらいでしたからそうした地域に憧れがありましたし、いっぱいチャンネル視れてうらやましかったです。鹿児島は1982(昭和57)年にテレビ朝日系列のKKB鹿児島放送が3局目として開局しており、3局時代になって電波格差はやや解消しましたが、それでも当時視聴率の高いフジが日テレとのクロスネット局(KTS鹿児島テレビ)で、しかもフジの比率が低い番組編成でしたから不満がありましたね。
都会は良いけど地方はテレビ電波事情が非常に悪い、そんな都市圏と地方との民放局数格差の是正に打って出たのがテレビ電波を管轄していた当時の郵政省が、1986(昭和61)年1月17日に「全国各地における(民放)受信機会平等の実現を図るため全国47都道府県すべての民放テレビ局を最低4つにする」方針を打ち出しました。4つとは日本テレビ、TBS、フジ、テレビ朝日系列のテレビ局を開局させて日本全国で視聴可能にすることです。
問題なのが、テレビ開局による費用ですが、4局化方針を打ち出した当時はバブル景気突入期であったこともあり、一本化調整が難航するほどテレビ免許申請が多数あったそうです。周波数割り当ても方針直後から即時に割振りが行われるなど、全国4局化は着々と進むことになります。ところでテレビ会社を運営するには莫大なお金が掛かります。華やかな世界ですが、送信所や演奏所などつくらなければならないし、運営維持がとても大変なのです。テレビ局はどのような収支となっているのか?ここで東京キー局と地方局の収益構造をご覧ください。
※ 出展:ビジネス+ITより
広告主が個別の番組を提供し、その番組に含まれるCM枠内で放送するタイム広告と、番組に関係なくテレビ局が定める時間に挿入されるスポット広告の2つの広告形態がテレビ局の収入となります。比率はおおよそ半々となっており、この2つが放送収入のほとんどを占めています。上記の表のようにキー局5社(TBS、フジテレビ、日本テレビ、テレビ朝日、テレビ東京)の2016年度における放送収入の合計は約9,000億円となります。
対して地方局は、タイム広告、スポット広告と併せて、ネットワーク配分金という収入源があるのです。これはキー局が系列地方局の放送枠を買い取り、キー局制作の番組を流すために地方局に支払うもので地方局にとって大きな収入源となっているのです。上記のようにネットワーク配分金は年間総額1,300~1,500億円となっており、これは各地方局の収入割合の約4分の1を占めています。番組制作費もキー局の番組を昼夜流している状況で、自社番組もローカルニュースなど限られたものですから番組制作にそれほど費用をかけずに済むのです。地方局運営はビジネスモデルとしてとても魅力的でした。
ということで、4局化達成目指して、各地方では平成に入ってからどんどんテレビ局が開局していくことになります。平成以後に開局した全国のテレビ局がこちらになります。
平成新局一覧
出展:ウィキペディア
平成新局は平成元年から11年まで僅か10年程の間に総数24局が開局しました。特に平成初期が凄い開局ラッシュとなり、私の住む鹿児島県も第4局である鹿児島読売テレビ(KYT)が開局し、目出度くテレビ電波の格差解消となったのです。
4局化の頓挫・・そしてテレビ局運営危機
しかし、全国あまねく民放4局化方針はあえなく頓挫することになりました。3局化までは実現したものの4局目ができなかったところ、または新局すら構想だけで終わって開局に至らなかったところもありました。理由はバブル崩壊による景気の悪化によるものです。そしてインターネットの登場により、それまでテレビでCMを流していた各スポンサーが広告の形態を見直し、インターネットへの出資を年々増やしていく半面、テレビは年々減少していくことになります。
体力のあるキー局ですら、昨今の収入事情は厳しいと伝えられており、脆弱な地方局ではかなり厳しい経営面に直面することになるのは必至です。キー局からのネットワーク構想に頼りにしている地方局、特に平成以降に開局したテレビ局はそれ以前に開局したテレビ局に比べて資本金が乏しく、営業収入も先行して開局した局と比べ少ない局が多かったのです。
平成新局は既存の局より会社の規模自体が小さく、先行して開局したテレビ・ラジオ局に比べて番組制作力や営業力が弱い傾向にあります。そして規模が小さくコンパクトに設立されており、アナログ時代には中継局も少なかったこともあり、送信所や中継局は先行して開局したテレビ局のものを借りる所が多かったのです。
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平成新局がこんな状況ですからこれから開局するテレビ局は当分なさそうです。逆にネットなど多様化した放送媒体の増加もあり、テレビを見ない人がますます増えていくことから、もしかしたら地方のテレビ局が廃局したり、隣の県と統合することになるかも知れません。実際ラジオのFM局ではここ数年で廃局したところがいくつかでていますから考えられなくもありません。
時代の流れとは言え、小さい頃から慣れ親しんできたテレビという娯楽が衰退していくのは忍びないです。昨今テレビ番組がつまらなくなったと言われて久しいですが、昔の良かった頃のような番組が増えてくればテレビは再び活性化してくると思います。まだまだテレビの影響力は高いので、より良い番組を作り上げてほしいものです。
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