サッカーのワールド・カップ予選、日本は苦戦を強いられていて、現時点で最終予選Bグループ4位という位置に甘んじています。グループ2位までが本選出場条件で3位がプレーオフにまわることになり4位ではダメなのです。予選が異例のロング日程なのでまだ巻き返しの余地はありますが心配になります。1998年のフランス大会初出場から5大会連続皆勤出場しているだけに何とか頑張ってほしいところです。

 

 

ということで今回はサッカー特集です。日本人がサッカーに興味を持つようになったのは1993(平成5)年のJリーグ元年であることは間違いないでしょう。プロサッカーリーグとして発足したJリーグですが、その中でも盟主的存在としてJリーグを引っ張ってきたのが読売ヴェルディです。

 

 

Jリーグはそのチームの拠点地である地域名を入れることを義務付けられているため川崎の等々力競技場をホームにしていたヴェルディの正式名はヴェルディ川崎ですが、日本リーグ時代、他チームに比べ人気・実力とも断トツの読売クラブチームが母体となっていることから、その栄光を引き継ぐ形と、親会社が読売新聞であることもあり、当初は冠に読売がつく呼称で呼ばれることが多かったのです。ということで話の進行上、こちらでも読売に冠をつけて紹介させていただきます(^_^;)

 

 

読売ヴェルディなくしてJリーグは成り立たなかった

 

 

Jリーグは1993年開幕しますが、その前に実業団の日本サッカーリーグを含めた数多くのチームの中からプロリーグに参加するチームを選定することになります。その中から10チームが発表され、その中に日本リーグで人気・実力とも断トツの読売サッカークラブもありました。

 

 

プロリーグに参加するチームは、来るべきプロリーグ開幕に備えて、戦力強化に努めますが、人気・実力No.1を誇る読売クラブは親会社の読売新聞のバックアップもあり、他チームを出し抜くような戦力強化に成功しました。

 

 

既にチームの柱として活躍していた三浦知良、ラモス瑠偉、武田修宏、都並敏史に加えて、ライバルチームから北沢豪、柱谷哲司が参加し、当時の日本代表クラスが一同にヴェルディに集結したのでした。またビスマルク、ペレイラといった外国人選手も評判通りの活躍を見せてくれました。

 

 

プロ野球の巨人と同様、Jリーグでも他チームと比べて圧倒的な資金力を誇り、スター選手が集結した読売ヴェルディ。Jリーグ初年度と2年目と2年連続の年間王者となり、プレシーズンマッチとして開催された1992ヤマザキナビスコカップでも優勝を飾るなどヴェルディの存在感が際立っていましたのでメディアでも一番に取り上げられる、まさに日本プロ・サッカーの盟主としてヴェルディなくしてJリーグは成り立たなかったと言われたものです。

 

 

凄まじかったJリーグブーム

 

 

1993年開幕したJリーグの記念すべき第一戦は、読売ヴェルディVS横浜マリノスの人気クラブ同士の一戦は国立競技場に6万人の大観衆を集めて行われました。NHKでのテレビ中継も入り、注目を集めた第一戦の視聴率は32.4%、記念すべき開幕ゲームで上々の数字を叩き出したのでした。

 

 

 

華々しいセレモニーで彩られた開幕ゲームは試合内容も良くて視聴率も高く大成功となりました。この開幕イヤーの関東地区のJリーグ中継番組数は60番組(うち33番組がゴールデンタイム)。1994年には1993年を上回る76番組(うち45番組がゴールデンタイム)、高視聴率を叩き出すJリーグはメディアの注目も高く、試合チケットも入手しにくいプラチナチケットと化し、選手もCM出演など露出度が高く、この時は間違いなくプロ野球を完全に凌駕していたのでした。

 

 

そしてこの年、もう一つのビッグイベントがありました。アメリカWカップ最終予選で、日本が1点リードしてロスタイムに突入、そのまま勝利すれば初のワールドカップ出場が決定するという大事な場面で、イラクに同点弾を決められそのままホイッスルを迎えてしまうドーハの悲劇。日本にとってあまりに悲劇的な結果でしたが、このドラマチックな展開が日本のサッカーブームを更に盛り上げることになりました。この時の視聴率は48、1%、放送したテレビ東京は開局以来史上最高の数字を叩き出したのです。

 

 

こうしてJリーグ元年は社会現象ともいわれるブームを巻き起こす大成功となりましたが、個人的に見れば一番の成功者はJリーグ初年度のMVPとなったカズこと三浦知良ではないでしょうか。MVP表彰の時の風船から赤いタキシードで現れたあの出で立ちが今でも脳裏に焼き付いています。

 

 

カズは90年に読売クラブに入りましたが、既にブラジルサッカー界での活躍もありスター・プレーヤーとして迎え入れられたこともあり年俸は日本サッカーリーグ所属選手としては異例の一億円プレーヤーでした。そしてJ初年度の活躍で年俸が2億4000万円にまで跳ね上がります。

 

 

カズを始め、ヴェルディは日本代表揃いのスター軍団でした。初年度の年俸で一億円プレーヤーが5人 (ラモス瑠偉、三浦知良、北澤豪、武田修宏、柱谷哲二) も誕生することになります。この面子ならば当然と言えば当然ですね。実力でも年俸でも他チームを圧倒するヴェルディはJリーグブームを牽引することになります。

 

 

このコカコーラのユニフォームが凄くカッコ良くて、全盛期ヴェルディの象徴でしたね。

 

 

スター軍団ヴェルディの衰退

 

 

しかし栄光は長くは続かないもので、地域密着をコンセプトとしているJリーグの理念とかけ離れていたヴェルディは人気に陰りが出始めて、追い打ちをかけたのが親会社である読売新聞の撤退でした。

 

 

これにより経営が苦しくなったヴェルディは高額年俸選手を輩出することになります。名を馳せたスタープレーヤーが、こぞっていなくなり無名の選手ばかりでは集客もままならず、人気も実力も上がらず、程なくトップ・リーグのJ1から姿を消すことになりました。

 

 

読売新聞が手を引いてから日本テレビが経営を担ってましたが、その日本テレビも撤退し。現在のヴェルディはスポンサー支援を募る持ち株会社として存続しています。しかしJ2の半ばが定位置ではスポンサーを集めにくくなり、チーム存続の危機に瀕することになります。かつてのスター養成クラブの面影はなくなり、クラブ存続も危うくなったヴェルディ、他チームは地域密着の理念を守り、Jブームが過ぎ去っても地域のバックアップによりクラブ運営もそこそこ順調のようですが、ヴェルディは残念ながらそれをすることなく読売の冠にこだわっていたのが現在の凋落を引き起こしたとも言えるでしょう。地域密着の理念を守っていれば今とはまったく違っていたかも知れませんね。

 

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2021年現在、J1所属選手の平均年俸は3,218万円。そして今から30年近く前の読売ヴェルディ主力の5人が一億円プレーヤーということを考えればJリーグの年俸が下がったというより、いかにJ初期のヴェルディが金銭的に恵まれた環境にあったということがお分かりいただけると思います。サッカーブームの象徴的クラブチームであった読売ヴェルディ。このようなチームはもう現れることはないのでしょうか。

 

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投稿者

yuuponshow

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