プロレスとテレビの繋がりは深く、力道山が日本プロレスを立ち上げエースとして君臨していた時代からジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲の2大エース時代、その二人が袂を分かって全日本と新日本のエースとして活躍しましたが、この辺りがプロレスの全盛期と言われています。そしてテレビは強力にバックアップし、ゴールデン・タイムに中継することで驚異的な視聴率をあげていたのです。
ドル箱コンテンツとして人気が高かったプロレス中継をテレビ局側は重宝する一方で、プロレス団体側も莫大な興行収入を見込めるのでプロレスとテレビは切っても切れない相互幇助の関係を築いていました。しかし別の言い方をすればプロレスはテレビのバックアップが無ければ成り立たなくなることを意味しており、実際に昭和時代に存在したプロレス団体でテレビが付かなければ総じて消滅してきたのです。ということで今回は昭和時代のプロレス興行にまつわる話で進行していきたいと思います。
一回のテレビ中継で放映権料が一千万円
力道山が日本プロレスを旗揚げした直後からテレビでの中継はスタートしており、日本テレビとNHKのほか、後発のテレビ局も参入しています。ただし当初はビッグマッチに限った不定期放送で、1957年に日本テレビが週一回の定期放送を開始します。これによりテレビ中継による安定的な興行収入を得た日本プロレスが大会場での興行や有名外人レスラーを招聘しビッグマッチを開催するなどプロレスビジネスは成功を収めていくことになります。
ちなみに力道山時代のテレビ放映権料は一回150万円、公務員の初任給が13000円の時代ですから今に換算したら1500から2000万円といったところでしょうか。時代の移り変わりによる物価上昇と共に興行収入もそれに合わせた形で調整され、最高時の放映権料は一回1千万円まで上がりました。
プロレス中継は1週間に1回で1千万円の放映料だと1ヶ月に4千万円がプロレス団体に入ることになります。これは凄い安定収入ですね。
日本プロレスは力道山死去後も馬場、猪木のBI砲が君臨し、中継局は日本テレビとNET(現在のテレビ朝日)も参入して、週に二回も日本プロレスを見ることができるようになりますから当然テレビの放映権料も倍になります。大金がっぽり入ってウハウハ状態、BI砲の活躍により日本プロレス最盛期を迎えることになりました。
テレビが無いとプロレス団体はやっていけなくなる
隆盛を極めた日本プロレスですが、猪木、馬場の退団によりあっさり消滅してしまいます。会社のっとりを企てたとされるA猪木を日プロ幹部が追放したことで、それまで猪木メインで中継していたNETが、馬場の試合も中継するようになりました。これに馬場をメインに放送していた日テレが激怒し、プロレス中継から撤退すると馬場と組んで新団体である全日本プロレスを旗揚げします。このエピソードはあまりにも有名ですが、二局中継を維持したいばかりに馬場をNETに登場させた日プロの欲深さが祟った形となりました。
追放された猪木は新日本プロレスを旗揚げしたものの、テレビが付いていないので興行は火の車状態でした。しかしここで思わぬ救世主が現れます。馬場・猪木亡き後の日プロのエースとなった坂口征二が猪木の新日本プロレスに合流し、同時にNETでのテレビ中継がスタートすることになります。これにより資金面でのバックアップが保証された新日本プロレスは以降大きく飛躍することになります。
日プロ全盛・消滅の時代と並行して国際プロレスという団体もありました。こちらも当初からTBSでの定期中継がされていたのですが一度打ち切られた後、東京12チャンネル(現・テレビ東京)がスポンサーとなったものの、それも打ち切られて結局消滅となりました。G馬場いわく「テレビがスポンサーでなくなったらプロレス団体はその瞬間やっていけなくなる」との逸話を残しており、その展開通りに昭和プロレス界の定説となるのです。
テレビの必要としないビジネスモデルの変化
しかし馬場・猪木の両団体も安泰とはいかず、高視聴率を誇っていたプロレス中継も視聴率が振るわなくなり昭和63年3月をもってゴールデンタイムからの撤退を余儀なくされました。
先ほどの放映権料一千万円とはゴールデンタイムでの中継をベースとしたものであり、夕方や深夜帯に変わり、時間も削られることで、一回の放送で200から300万円にまで下落することになります。ゴールデンからの撤退は放映権料の大幅な下落を意味するものであり、メジャーと言われた両団体はピンチを迎えることになりました。
メジャー団体のゴールデン撤退と並行してテレビを持たないプロレス団体が台頭してくることになります。格闘技路線のUWFや過激プロレスのFMWなど既存のプロレスにこだわらない新たなスタイルがファンを引き付けることになり、テレビでの興行収入を当てにせずとも記念グッズや試合をおさめたビデオを販売するなどして業績を伸ばしてきました。特にUWFは後の格闘技路線にも大きく影響を及ぼすなどテレビを持たない団体ながら成功を収めた例と言えるでしょう。
今の時代はメジャー・インディー団体を含めて群雄割拠のごとく数多くのプロレス団体が存在します。現在テレビ中継は新日本プロレスだけで、それも深夜遅くに30分だけです。メジャー団体ですらこの扱いですからテレビ中継など無くて当たり前の時代になったと言えるでしょう。決して恵まれた環境でなくとも独自性を打ち出し、身の丈に合った興行をすれば存続できます。インディー団体でもみちのくプロレスや大日本プロレス、パンクラスなどは20年を超える興行実績を残しており、テレビが無いと成り立たないと言われていた時代からテレビを必要としないビジネスモデルに移り変わったと言えるでしょうね。